−このところ、保育園の民営化が進められています。
公立保育園が民営化されるのは社会の流れですが、そうすると「良い子」、つまり処遇のしやすい家族やその子どもの入所に積極的になり、その一方で、障害児や養育困難家庭の子供は手がかかることから「公立保育所に行って欲しい」という選別化が起こりかねません。
それは、人件費の問題もあります。子どもには多くのスタッフが関われば落ち着いていきますが、中には、そういう発想よりは利益を上げて次にどこのプログラムに還元していくか、ということを考えている施設も出てきます。その場合、障害児や問題を抱えた子どもは手がかかりますから運営上支障をきたすと見られがちです。ですから、その辺のすみわけはかなり難しく、市町村の保育行政の大きな課題となるでしょう。保育行政として、一定数の公立保育園はしっかりと残しておく必要があります。
−最近では、幼稚園も延長保育を実施しているようですが・・・。
大阪市内や府下では、6時や7時まで預かってくれるということで、幼稚園でも利用者の半分以上が就労されている方です。ただ、なかには、環境的に問題があるケースがみられます。「お預かり」ですから、おやつにスナックの袋を子どもに渡して勝手に食べさせる、といった具合に、です。その点、総合施設化というのは、子どもの成長と言う意味で意義があるわけです。今後、財政力があれば、給食の材料費や人件経費といった経費も削減できますから総合施設に転換するところも多いでしょう。
−総合施設には、民間企業は参入してきますか。
民間企業にとっては、難しいと思います。企業が参入するとなると、総合施設よりもっと特化した経済的に利潤を出していくサービスになっていくと思います。どちらかといえば、企業は、高いお金を払ってもよい幼児教育を求めている層を対象にすることになると思います。
それと、私は、行政での保育園の民営化に関する審査会をいくつか担当していますので、それに関して民間の資料などもたくさん見させていただきますが、やはり資料でみる限りでは、見栄えのよいことが書かれています。でも、障害児保育をどう考えていますか、人権保育をどう考えていますかというあたりになると、とても弱いのです。「どの子も同じように」、あるいは「障害もある子もない子も同じように保育していきます」とありますが、実際に、「同和保育はどうですか」と聞くと、「人権は、どの子も同じなので・・」とはいいますが、具体的なことはいえないのです。現実問題として、障害児がどのくらい手が必要なのか、どれだけ育ちを保障することにエネルギーが必要とされるのか、また、保護者が望むように無事に学齢期まで、小学校まで引き継いでいくためには、なみなみならないエネルギーがいるのかということが見えないのです。特に、障害については、それぞれレベルも種類もちがいますから対応も個別になります。
また、人権についても、今は「同和」と言う言葉はなくなりつつありますが、その地域で育った子たちは育ちに課題を抱える傾向にあります。一つは教育の問題です。「勉強なんかしなくてもいい」という親の考え方が世代間連鎖して、精神的、物質的貧困につながっていくのです。一端、貧困層に落ちると日本の社会構造ではなかなか今より上にはあがれないのです。そういうことが親、祖父母の代から続いている社会的不利益を持っている人たちの人権を一番大切にしないといけないのです。「どの子も同じで・・」などと言っていては、解決は難しいでしょう。
また、そういう地域の公立の保育園には極端にいうと20〜30%くらいは虐待ではないか、といわれている子どもが来ています。でも、民営化になると、これらの子供は受けるところは少ないでしょう。ですから、良い・悪いを別として公立を残さないといけないと思います。もちろん、今は選べる時代ですから、保護者が企業の保育所に行こうと思えばいけるわけです。でも、やはりなじまないと思います。
私は、総合施設化や民営化などサービスが多様化することは非常にすばらしいと思います。ただ、一方で保育に欠ける子についても、やはりそこの子どもたちの権利をどう護っていくか、ということをもっと議論していかないといけないと思います。
(→次号へ続く)
●プロフィール● (敬称略)
倉石 哲也 (くらいし てつや)
武庫川女子大学大学院臨床教育学研究科助教授。
関西学院大学大学院社会学研究科修士課程修了。
淀屋橋心理用法センター(家族ソーシャルワーカ)、大阪府立大学社福祉学部(講師、助教授)を経て現職。
<著 書>
「家族福祉論」(2002年、勁草書房)、「キーワード・シリーズソーシャルワーク」(2002年、中央法規)、「社会福祉施設における相談・援助活動」(2002年、中央福祉学院)など
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