−まず、最近の保育現場の動向と課題についてお聞かせ下さい。
わが国の保育施策の経緯をみると、戦後から現在まで約60年弱の間に15年程度の周期で4段階の発展を遂げました。
第一期は、戦後処理の期間でした。第二期は高度経済成長支援期で、いわゆる現在の保育所のスタート期でした。
第三期は、就労を通じた女性の自立・自己実現支援期。1970年代前半のオイルショックなど経済は混乱時期を迎えるなか、女性の高学歴化、就労・自立がみられたことから、保育施策は、女性の働く姿に合わせていかなければならなかったのです。そのため、第二期につくられた基礎、つまり「8時間保育」や「3歳児以上保育」などがこの時期には、「延長保育」や「0歳児保育」、「夜間保育」へと拡充し、それまでより女性が働きやすい環境が形成されました。今でこそ、0歳児保育などは当たり前ですが、80年代くらまでは、自治体は独自にやっていたかもしれませんが、国の制度は、所得が一定水準以下の層みを対象とするというものでした。それをやめたのが80年代。ですから、わが国の現在の保育が現在のようになってから、まだたった20年しか経っていないのです。
その後、平成となり第四期を迎えました。この時期は、地域子育て支援推進期といえます。現在、就学前児童の平日の居場所は、約半分が家となっています。さらに、3歳未満児については、80%以上が家にいる。これは、関係者にとっても意外な数字です。地域子育て支援センターは、まさにこの層、平日の昼間家庭で生活している主として3歳未満児のための施策なのです。この層については、「保育制度上、母または母にかわる人が家にいる」ということなので、「お母さんがやっていたら、子どもが一番幸せだ」と長い間考えられていました。3歳児神話や母性神話の影響も大きかったと思います。
ところが、子どもの虐待や子育ての不安に見られるように、お母さんがいても必ずしも十分な親子関係が築けない、自信がもてないというケースも少なくありません。お母さん自身の中にも、決して子どもが嫌いなわけではないけれど、時には子育てを離れて、自分らしい生活をしてみたい、社会活動をしてみたいという方がいらっしゃいます。こういったことに、お母さん自らが気づいたり、あるいは周囲が気づきはじめたりして、何かサービスを提供しなくてはいけないということで「地域子育て支援センター」が出来たのです。
3歳未満児の16〜17%が保育所に通っているとしても、在宅児の80%は、その5倍です。この80%の域に属する子どもの全員が保育所を必要としているわけではないにしても、その数字はあまりにも大きい。でも、保育所で対応できているのはそのごく一部にすぎません。
その他に、幼稚園もかかわり始めていますが、幼稚園というのは、主として、3歳以上の子どもを対象にしています。その子どもたちは、言葉によるコミュニケーションができるということを前提としています。一方、支援を必要としているのは、3歳未満児であり、親も支援を必要としているケースです。また、子どもに対しては表情の読み取りなど言葉でない関わり、による支援が必要になります。そこが、幼稚園もがんばっているのだけれど、保育所ほど地域子育て支援に強くない点です。
一方、保育所はがんばろうと思っても、待機者がすごく多い。待機児対策をせずして地域子育て支援に行くのは、本来の保育所の姿ではありません。まず、待機児対策をしなくてはならない。となると、ここに供給主体の多様化が起こってきます。しかし、制度上は、企業に積極的に参入させる方向にはなっていません。制度上で企業の参入を求めているのは、待機児対策として認可保育所に企業が入って応援してくださいということなのです。保育所、幼稚園では十分でない状況で、今後期待されているのが、NPO活動です。
すでに第四期も終わりかけていますから、並行して、次の時代がスタートし始めています。おそらく次の時代はいろんなグループが保育をやる時代であり、保育が保育所以外の供給主体によっても行われる時代になるでしょう。そして、もう一つ間に合うかどうか分からないけれど、保育所と幼稚園という関係の再編成。これらが次の時代の目玉となるでしょう。
第五期には、やらなくてはならないことがたくさんあります。ひとつは待機児の問題。男女の就労と子育ての両立支援を図るためには、保育に欠ける子どもたちのサービスをきっちりつくる必要があります。とりわけ、待機児対策は早急に解消しないといけないので、いろんな施策を認めていかなくてはなりません。
(次号へ続く・・・)
●プロフィール● (敬称略)
山 縣 文 治(1954年生まれ)
大阪市立大学大学院生活科学研究科 教授
<著 書>
「現代保育論」、「社会福祉論」、「よくわかる社会福祉」、「よくわかる子ども家庭福祉」、「家族援助論」ほか多数。
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